最近、ジブリを始めとして映画館でも過去の作品がたくさん上映されています。
中でもクリストファー・ノーラン監督の新作「テネット」の公開を受けて、過去作品が何作かリバイバル公開されています。
ノーランファンとしては堪らない流れですよね!
この流れにのって「インセプション」をIMAXで観てきました!
やはり何度観ても面白い!& 難しい!(笑)
大人が観てもかなり難解なこの作品、めちゃくちゃ面白いのですが、どう面白かったかを言語化するのがとっても難しい映画でもあります。
でも、頑張って感想を書いていこうと思います!
あらすじ
他人が眠っている間に潜在意識に侵入し、情報を盗み出す犯罪のスペシャリストであるコブは、実業家のサイトーから、ある仕事を依頼される。
その仕事とは、ライバル企業を倒産させるために、会長の息子ロバートの潜在意識に侵入し、「会社を潰す」というアイデアを植えつけることだった。
コブはミッションに必要な夢の設計士や偽装師、調合師を集め、ロバートの夢の階層の奥深くへと潜っていく。
以下、ネタバレ含みます
(1)極限の映像トリックと巧妙な編集
「インセプション」でまず圧倒されるのは、今まで誰も描くことができなかった夢の表現ですよね。
本作の中では主に4つの夢の階層が描かれます。夢の階層というのは、一度見た夢の中のさらに夢の中、という超複雑な構造になっています。
まず主人公コブたちがミッションの最初に用意した第1階層の夢はロサンゼルス。第2階層でホテル、第3階層で雪山、そして虚無の世界です。
虚無の世界とは、潜在意識の奥深くにある場所で、ここに落ちてしまうと夢から覚めても心は虚無の世界の取り残されるので、無意識の状態となってしまいます。
この辺りの「インセプション」で設けられている設定を理解しないと、あっという間に置き去りにされてしまいます。
普段映画に見慣れている人でも、この複雑な設定は、一度見ただけではなかなか理解できないんじゃないでしょうか。
この夢の中の表現、という難題もノーランは見事にワクワクさせてくれる映像を用意してくれています。
夢を作り出したホストは夢を自在に操作できるので、目の前に橋を作ったり、街を爆破させたり、さらには物理の法則を無視して街ごと折り曲げたりします。
こんな映像表現、思いついてもよく実際にVFXに落とし込んだな、と感動モノです。
さらに、ミッションの中で第3階層まで行くと、夢の第1階層〜第3階層までひたすらカットバックで物語が展開されていくので、頭をフル回転させないと全く追いつけません(笑)
公開当時も物語を理解するのに必死でめちゃくちゃ疲れた記憶がありますが、何度か見直してやっと理解でき始めたぞ、というくらいには難しいです。
この夢の第1階層〜第3階層のカットバック編集は見事だな、と何度か見直して改めて思いました。
1回目に観たときはワケがわからなくなっていましたが、数回目では1フレも無駄のない編集だと気付かされます。さすがとしか言えません。
さらに、ノーラン監督は「インセプション」自体の編集構造において、コブの相棒・アーサーが夢を作り出す時に使う騙し絵的なトリックを使っているのです。
冒頭、アーサーが設計士のアリアドネに夢の作り方を教える際、「ペンローズの階段」の話をします。夢の中で無限に続く階段を作っておくことで、「夢の境界をごまかす」ことが大事だとアーサーは言います。
「インセプション」のファーストシーンは、年老いたサイトーとコブが語り合うところから始まります。
次のシーンでは、年老いたサイトーから若いサイトーとコブの話に移り変わり、物語が動き始めます。物語が終盤になり、ラストシーンから1つ手前で冒頭の年老いたサイトーが出てきます。
この辺りで観客は「おや?」と思うはずです。なぜ重要なラストの局面の年老いたサイトーが冒頭にも繰り返し出てきているのだろう、と。
完璧主義者のノーラン監督が冒頭に年老いたサイトーのシーンを用意したのには必ず意味があるはずです。
その1つの理由は映画自体の構造を「ペンローズの階段」のようにループさせることで、観客にどこが夢でどこが現実なのか、本当の境界をごまかす狙いがあると思います。
ノーラン監督が夢の境界線をそうまでしてミスリードさせたかった理由、それについては後半の(3)で書いていきたいと思います。
(2)トラウマの克服
「インセプション」の夢の物語に隠されたテーマは、主人公コブの過去に囚われたトラウマを払拭する物語だと考えられます。
コブは夢の中に入るたびに、亡くなった妻や昔見た記憶にある子供達の姿が常に登場します。
その度に毎回コブは動揺し、また、夢という幻想から離れられずにいます。
物語中盤でコブが妻の幻想から逃れられない理由が明かされていきます。
それは、夢に囚われてしまった妻が夢と現実の境目がわからなくなり、コブの目の前で自ら命を断つという衝撃的な過去のトラウマです。
妻が現実と夢の違いが分からなくなってしまったのも、コブが妻の潜在意識に、ある情報を植えつけたことが原因です。(=インセプション)
妻の自死が自分のインセプションのせいだと思い込んでいるコブは、その罪の意識からずっと囚われて前に進めずにいます。
妻の記憶に囚われたコブは、自ら作り出した夢の中で、いくつもの過去の家族の記憶を残しています。
そして実験と偽って何度もその夢の中に入り浸り失われた家族との時間を過ごすのです。
このトラウマを克服する役目を今回担ったのが学生であり設計士のアリアドネです。
彼女は早くからコブの欠陥を見抜き、トラウマを克服するようコブに求めます。
図々しくもアリアドネは、コブの夢に勝手に入り、妻との記憶にも入っていきます。
ミッション終盤でもコブと妻の夢の中に同行し、コブが前を向いて人生を歩き出せるよう手助けします。
やがてミッションをクリアし、コブが家に帰って、笑顔の子供達を抱きかかえたとき、コブは本当の意味でトラウマを克服するのです。
夢=コブのトラウマ
現実の家=トラウマを克服した状態
を表していたのだと思います。
ラストシーンの後、トラウマを克服したコブが夢の世界に潜り込むことは、二度とないでしょう。
(3)コブの真のターゲットはロバートではなくサイトー
(1)でも触れましたが、年老いたサイトーのシーンを冒頭にわざわざ編集で配置したのには「インセプション」を紐解く上で重要なヒントが隠されていると思いました。
それは、コブの真のターゲットはロバートではなく、最初から最後までサイトーなのではないかという推測です。
この物語はサイトーをターゲットにして、他のアーサーやイームスも動いているという前提で見ていくと色々な発見があって面白いと思います。
まず、コブとアーサーはコボル社から依頼を受け、冒頭の方でサイトーから情報を盗もうとし、失敗します。
大切な情報を盗もうとしてきた犯罪者を捕まえず、むしろサイトーはライバル企業を潰すためにコブたちに協力してくれと依頼します。この辺りは、名優・渡辺謙の演技で説得力が生まれてしまっていますが、状況だけで考えるとだいぶ違和感が残ります。
その後コブがイームスを仲間にしようとモンバサへと向かいますが、ここで待ち受けていたのはコブを狙うスパイたちです。
モンバサへ向かう直前で「モンバサはコボル社の庭だ」というセリフがありますが、正にこれはノーラン監督のミスリードで、実際にコブを狙う人たちは、サイトーの夢の中の武装兵士ではないかと考えます。
街中であれだけ派手な銃撃戦を繰り広げることなど、普通に考えると有りえない話ですし、銃撃の様子がロサンゼルスの夢のシーンとそっくりです。
そもそも、コボル社とは、セリフの中で交わされるのみで一度もその実態を明かすことはありません。これもノーラン監督のサイトーと観客を騙す1つのヒントです。
すでにモンバサのシーンがサイトーを夢の中に引き込んでいるとすると、モンバサの時点で観客が見ていたのは、現実ではなく夢の第1階層にいることになります。
とすると、私たちは現実だと思い込んでいたところが夢の第1階層で、サイトーも一緒になって夢に入るロバートの第1階層は実は第2階層で、第3階層だと思っていた雪山は第4階層まで深く潜っていたということになります。
良く見るとコブたちが作戦会議している時、サイトーだけ不自然に眠っているシーンがあったりします。
コブが壮大な仕掛けでサイトーを騙して成し遂げたかったこと、それは自らの犯罪歴を消して「自分の家に帰って子供達に再び会う」ことです。
絶大な権力を持つサイトーが自らの意志でコブの犯罪歴を帳消しにするには、「サイトーのライバル企業を潰した」とサイトー自身に思い込ませる必要があります。
その為にロバートを用意し、サイトー自身も夢の中に潜り込むように巧妙に仕向けていきます。
もしかしたらロバートも最初からグルで、コブたちの仲間だったと考える方が自然かもしれません。
雪山の夢のシーンでサイトーが命を落とし、虚無の世界に落ちた時、コブは必死にサイトーを連れ戻そうともがきます。それはサイトーが現実世界に戻ってくれないと、コブの犯罪歴を消してもらえないからです。
この推測は正しいとは言えないかもしれませんが、その視点でもう一度「インセプション」を見直すと非常に面白いです。
(4)ラストシーンは夢か現実か?
鑑賞後、誰もが議論したくなるラストシーンは、映画史に残る傑出した演出だと思います。
個人的な意見では、ラストシーンは「現実」だと思いたいです。
ただ、ノーラン監督自身、ラストシーンが夢か現実かの正解は明言しておらず、観客の判断に委ねています。
こういう、ハッキリとしない結末にモヤモヤする人もいるかもしれませんが、僕は大好きなラストでした。
なぜ現実か夢かハッキリとした答えが出せないのかと言うと、コブが子供たちと再会した後、カメラはトーテムの方に焦点を当てます。しかしトーテムは回り続けていて本編のラスト1秒トーテムがくらっと揺れます。
トーテムというのは、夢の中に入った人が夢か現実かを判断するために利用する道具です。
コブは特徴的なコマを使って現実かどうかを判断しています。
ラストシーン、トーテムが微かに揺れますが、しっかり倒れたところまでは描かれずに映画が終了するため、結論は観客側に委ねられています。
また、虚無に落ちたミッションメンバーのサイトーを連れ戻そうとするシーンはありましたが、実際にコブが第3階層や第2階層で目覚めるシーンは意図的に省略されている点も、ラストが現実と言い切れない理由ですね。
そして、ラストシーンが現実であると思いたいのは、コブが過去のトラウマを断ち切り、子供達との再会を果たしたラストであって欲しいと思うからです。
コブが自ら夢の世界に閉じこもり、自分の見たい夢を見続けていると捉えることもできるかもしれませんが、それではあまりに救いのないラストだと感じます。
コブは、妻の自死から自らの意志で立ち直り、子供達と前を向いて現実世界にやっと目を向けて生きていくのだと信じたいからです。
ノーラン監督は、「インセプション」を通じて過去の罪や過ちに囚われるだけで一生を彷徨うのではなく、ちゃんと現実に生きてしっかりあるべき我々の世界に身を置いて前を向こうよ、というメッセージを残しているのかもしれません。
ある意味、そういったノーラン監督からのメッセージを「インセプション」(=情報の植え付け)されているのは、観客である私たちなのかもしれません。
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