待ちに待った新海誠の最新作「すずめの戸締まり」を鑑賞してきました。
例のごとく、あまり前情報を入れずに観に行ったのですが、鑑賞後は面白かった~とか、泣けた~とか、安易に言える作品ではないんじゃないかなと思ってしまいました。
さすがの新海監督、今作もキレのある映画を生み出し、「良い作品」を作っていると個人的には思います。
それでは「すずめの戸締まり」の感想を書いていきます!
鑑賞オススメ点数・・・70点
あらすじ
九州の田舎町で暮らす高校生のすずめは、謎の青年・草太に出会う。彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、古い扉と怪しい雰囲気の空間。扉の向こう側からは大地震の災いが訪れてしまうことが分かり、地震を食い止めるためにすずめと草太は行動を共にし、日本各地で扉の戸締まりをすることになった。
謎の猫・ダイジンが二人の目の前に現れ混乱を呼ぶが、ダイジンに翻弄されるままにすずめたちは九州、四国、関西、東京、そして東北へと向かう。日本列島を巻き込む「戸締まりの旅」は成功のままに終えることができるのか。そして、日本の命運やいかに。
以下、ネタバレ含みます。
(1)新海誠作品に共通するテーマとモチーフ
個性の強い映画作家というものは、多くの場合、同じモチーフを使い続ける特性があります。それは同じキャストや音楽を、毎回使っていくという演出方法にも共通しています。確立した自らのスタイルを、作品を通して貫くことで、メッセージの解像度を上げるためにも効果的なのでしょう。
新海監督もその一人で、メジャー大作「君の名は。」「天気の子」でも共通したモチーフを何度も使っています。そして、今作でも同様でした。
これまで新海作品に共通して描かれるものとしては、「高校生」「恋愛」「災害」「田舎町」です。
同じモチーフを描きながらも今回は新たに「親と子」という普遍的なテーマも盛り込まれていました。意識的に様々な年代の登場人物を配置しており、特にすずめの叔母である環が本作では鍵を握る存在でした。幅広いキャラクターが登場するからこそ、誰の目線から見ても共感を呼び、集客率にも繋がっているのだと思います。
新海監督の真骨頂である田舎町のノスタルジックな風景。地方から東京を目指すストーリー展開や地方を美しく描く映像スタイルは、監督にとっても長野県の田舎で過ごした原体験があるからこそ、大事にしているものなのでしょう。
高校を卒業し、上京してその後東京で就職している監督の人生の流れは、確実に作品に影響を及ぼしているはずです。
映像の美しさはもはや今作でも圧倒的で、わざわざ言う必要もないですが、地方と東京どちらも思わずため息が出るほど、精緻な書き込みと光の入り具合で魅せられました。
また、これまでと異なる部分は、よりファンタジーの要素が強くなったことで、地震の原因ともなる「ミミズ」のデザインや地震発生時の禍々しさをアニメーションで見事に表現していました。災害発生時の緊張感と絶望感をよくあそこまでファンタジーの形で再現できたなと。
また、RADWINPSの音楽は映画だと数曲だけで今回は抑えめでしたが、何曲か本作のために描き下ろしているようです。特に、「すずめの涙」と「Tamaki」という曲がすずめ、草太、環さん3人の心情を丁寧に歌っていて、鑑賞後に聴くとより本作のことを理解できたような気がするし、何より心にすっと入ってくる感じで是非聞いて欲しいです。
(2)震災を経験したすずめが過去のトラウマから解放される成長物語
先ほど触れたように、新海監督はこれまで何度も高校生を主人公に据えて物語を作ってきました。
主人公を一番多感な時期の高校生に設定することで、映画全体を通し成長物語として語りやすくなっているからなのだと思います。
また、近年は常に災害をテーマに描いてきたからこそ、高校生の普遍的な恋愛物語は必要不可欠なのです。新海作品は中高生が基本的なターゲットなので、感情移入させるためにも高校生の方が良いですしね。
今回の主人公であるすずめは両親も兄弟もいなく、叔母の環さんと二人暮らしをしています。物語の中盤でなぜ叔母と二人暮らしという特殊な環境にいるのかが明かされます。なぜなら、すずめの実家は宮城県にあり、2011年の東日本大震災により母を亡くしたからです。
冒頭からチラチラ匂わせた描写はありましたが、ハッキリとした震災の描写が出てきた時はハッとしたし、ここまで描くか!と鳥肌が立ちました。
叔母の元で育ったすずめは、心の奥底で地震によるトラウマをずっと抱えていました。それは、幼少時代に母を探し彷徨い、常世に迷い込んでしまう描写からも分かります。
「すずめの戸締まり」とは、偶然に草太と出会ったすずめが、閉じ師の仕事をこなしていくことで、幼少時代に突然母親が消えてしまった喪失感を取り戻していく再生の物語なのだと感じました。
トラウマを抱えた田舎町に住む普通の女子高生が、閉じ師という特殊な人間と出会うことによって、日本を救う重要なポジションを担うことになりました。
なぜ、すずめは閉じ師でもないのに、後ろ戸を閉めミミズを鎮められたのかという理由が少しわかりにくかったですが、幼少の頃に常世に迷い込んだことがあったからですね。知らずのうちに常世の存在を認知していることが、後ろ戸を閉じることができる条件でもあったわけです。
日本各地の地震を鎮め、何百万人の命を救ったすずめは物語冒頭より、明らかに強い人間へと成長していきます。
困難を乗り越え、最終地点である東北の戸締まりを終えたすずめは、過去にとらわれた幼少の自分と出会うことになります。自らがトラウマを断ち切ることで、過去の深い傷を乗り越えることが出来ました。
自分の幼少時代に出会った時、すずめが放ったのは「私はね、すずめの明日!」という言葉でした。どんな困難に遭っても無慈悲で残酷な自然と一緒で、明日は来てしまう。否応なく辛い現実は終わることなく眼前にやってくる。そんな絶望の淵にいる少女に対して『明日は必ず来る。でも、見て!私はこんなに大きく成長できたんだよ!』という意味を込めて先ほどのセリフを言ったのかなと感じました。
終盤の「行ってきます」というセリフは、トラウマから解放されたすずめの新たな人生の出発を祝福するという意味も込められていたのではないでしょうか。
また、すずめと環の関係性も本作の重要なテーマです。新海監督自身にも小学生の娘がおり、50歳に近づいた今だからこそ描けた物語だと、インタビューでも言っています。旅を通じてすずめは自分を解放し、成長することができました。
同時に、環ともこれまで本当の親子でないが故に話せなかったことが言えるようになり、映画が終わる頃には二人の関係性はより良いものになったのです。自分自身の成長と一緒に、環との関係もぎこちない関係から、本音を言い合える関係に進歩しました。
すずめは今回の旅を通して、様々な成長を遂げることに成功したのです。
(3)東日本大震災を描く覚悟。エンタメ作品との融合で伝えたいメッセージとは。
これまで、「君の名は。」「天気の子」でも自然災害をテーマに間接的ではありますが、震災のことが描かれてきました。
今回、新海監督はついに腹を括り3.11の東日本大震災を直接的に描くことにしています。劇中、地震の名称こそ出ませんが、すずめの実家が宮城県にあることや、幼少の頃の日記が3月11日と記されていることからもハッキリと東日本大震災を意識していることがわかります。
今なお、ある一定の世代以上は、東日本大震災で起こった悪夢のような記憶がこびりついています。
僕自身、学生の頃に関東で大地震を経験しましたが、それまでに体験したことのない揺れと死の恐怖を感じました。当時は学校にいる時での出来事で、その日の交通機関はストップしたので、クラスの皆んなと校内で泊まったことを今でもハッキリと覚えています。
あの大地震を東北で経験したり、実際に家が流されたり、身の回りの誰かが亡くなってしまった、そんな不特定多数の観客が大勢いる中で、大地震を直接触れて描くというのは、相当の覚悟が必要だったはずです。すずめのように過去にトラウマを抱え、内容を知らず映画を観てしまった人は、途中で観られなくなってしまう人もいたのではないでしょうか。
そんなリスクを背負ったまま、公開に踏み切った監督と製作陣はやはりすごい覚悟なのだと思いました。しかも、もし公開直前で首都直下大地震などが起これば、絶対に公開延期になってしまうという興行上のリスクも存在していたはずです。それでも本作の内容で公開まで突き進んだ信念は、素晴らしいと思います。
映画本編の内容に触れていくと、まず、災いの象徴として「ミミズ」という存在が出てきます。このミミズは現実世界で地震の原因となる「地震プレート」のことだと考えています。実際に日本もいくつかの地震プレートが重なり、プレートの不具合によって大地震が引き起こされると言われています。ミミズを食い止めるというのは、まさに海中に潜むプレートの抑制を意味しています。
もしも地震プレートの動きを止めることができるなら、これから確実に起こると言われる日本の大地震も止めることができるかもしれない。
そんな明るい希望となるファンタジーな要素も含まれており、この映画の物語はスタートするのです。
しかし、直接的に震災を描いていても、アニメ描写やミミズ、ダイジンといったキャラクターはあくまでファンタジーなので具体的な救済の解決策は提示されません。
リアルな3.11を描いているにも関わらず、現実的な救済策が描かれないのは少し勿体無かったですが、その部分を描こうとすると、作品のトーンとも変わってしまい、構成がとても難しくなってしまうだろうなとも思いました。
そして本作の最も重要なメッセージは、我が家から出先へ行ってきちんと「帰ってくる」という、当たり前だけどとても幸せなことだ、という部分だと思いました。
中盤で草太は要石となり、一度命が消えてしまいました。すずめの目の前でさっきまで生きていた人が、突然消えてしまうという経験を母親に続いて、愛する人で再び経験してしまったのです。絶対に自分が草太を生き返らせるんだという強い覚悟のもと、すずめの最後の冒険が始まりました。
草太を失い、二度と会えない可能性もある中、敵対していたダイジンを再び要石として置くことで、草太は死から復活し、すずめとの再会を果たしました。この奇跡のような出来事が終わった後、映画のラストですずめは草太に向かって「おかえり」と声をかけています。
新海監督はこの「おかえり」というセリフに、本作のメッセージを全て詰め込んでいるように思いました。
いつどこで愛する人がいなくなるか分からない。そんな厳しい世の中で、ちゃんと元いた場所に戻ってくる。このごく普通で当たり前のことが、どれほど幸せなことなのか。愛する人に「おかえり」と言ってあげられることが、どれほど貴重で尊いものなのか。
日々の「おかえり」をもっと大切にしようと思わされました。
まとめ
正直、途中までは今回はちょっと期待はずれか?と思った部分もありましたが、終盤のクライマックスにかけて出てくる震災の描写が、想像以上だったのでドキッとしたし、当時のことを色々と思い出しました。
新海監督はまたしても、前作を超えるような凄い作品を作ってしまったんだと鳥肌が立ちました。
ただ、個人的には「君の名は。」「天気の子」の方がカタルシス感があり好きだなと感じました!
皆さんはどの作品が一番好きですか?
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