前作の『インサイド・ヘッド』から9年が経ち、ファン待望の続編が製作されました。
先日の興収発表で『インサイド・ヘッド2』世界興収が余裕で15億ドルを超え、トップガン マーヴェリック』や『アベンジャーズ』を超え、世界興行収入ランキング全体でも、トップ10入りを果たすという歴史的快挙を達成しています。
驚異的な大ヒットを記録した本作を紐解いていきたいと思います!
鑑賞オススメ点数・・・80点
あらすじ
少女ライリーを子どもの頃から見守ってきた頭の中の感情・ヨロコビたち。ある日、高校入学という人生の転機を控えたライリーの中に、シンパイ率いる<大人の感情>たちが現れる。 「ライリーの将来のために、あなたたちはもう必要ない」―シンパイたちの暴走により、追放されるヨロコビたち。巻き起こる“感情の嵐”の中で自分らしさを失っていくライリーを救うカギは、広大な世界の奥底に眠る“ある記憶”に隠されていた…。(公式HPから抜粋)
以下、ネタバレ含みます。
(1)ピクサーらしさ全開のワクワクできる独創的な世界観
まずピクサー映画の面白さは、画面の細部まで徹底的にアニメを作り込んで、何度だって楽しめるような空間と世界観を構築しているところにあると思っています。
この『インサイド・ヘッド』の世界観が前作に引き続き、さらにパワーアップして楽しさが満載でした!大人が観ていても十分楽しいですが、子供が観たら興奮する事間違いないしの良作ですね。
本作の構想は「人間の感情を擬人化する」というアイデアが出発点だと思いますが、そこからここまでの緻密で独創的な世界を作り上げていくって、本当にアイデアの力がハンパないですよね(笑)
人間の原初的な感情たちが司令部で人間に指示を出しているという設定がもう最高ですが、二作続けてヨロコビたちが司令部から追放されて、なんやかんやあってやっとこさ職場に戻るというストーリーには笑いました。もうちょい司令部のセキュリティなんとかならんのか、と。笑
とはいえ『インサイド・ヘッド2』で楽しい場面は、新たに登場する感情であるシンパイが、ライリーに今後起こりうる悪い出来事を砦の中のアニメーターたちに延々と描かせ続けていた場面です。
ピクサー社のオマージュなのか、あのシーンのワクワク感は個人的に最高な場面でした。
無理やり描かせられているアニメーターたちをヨロコビが解放し、自由を与えるという展開は、自由を謳うピクサーらしい演出でそこもスカッとしましたね!
さらに、ライリーの中に警備員や秘密を隠す保管庫もあって、ヨロコビやカナシミたちも保管庫に入れられてしまうという展開も面白かったです。ライリーにとって不要になった記憶や過去の遺物は保管庫に入れられてライリーの記憶からは抹消されてしまうんですね。
他にもワクワクするシチュエーションはたくさんありましたが、挙げたらキリがありません!
(2)思春期に発生する「複雑な感情」
ヨロコビを始めとしたカナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカは単純な感情として本作では定義づけられます。
そこに13歳になったライリーに思春期に発生する新たな感情たちが登場します。
それを英語付きで紹介すると、シンパイ(Anxiety)、イイナー(Envy)、ハズカシ(Embarrassment)、ダリィ(Ennui)の4種類です。
日本語のキャラにするとなんだかすごくシンプルな感情に感じてしまいますが、英語だとピクサーが意図したい、その幅広く複雑な感情が見えてきますよね。
Envyの他者に対する嫉妬心やEnnuiの物事への倦怠感など、確かに思春期に芽生えた曖昧で言語化しづらい感情たちです。
そして改めて、自分たちの中にある感情を言語で定義づけられると、そんな少ない数の感情で人間は構成されているのか、と新しい気づきもあります。
幼少期のライリーにあった「単純な感情」は1人称的な感情の集合でした。喜怒哀楽に代表される感情たちは自己起点で感じる感情です。
一方で「複雑な感情」は他者との接点で生まれる感情というのが印象的でした。高校生活を良くするための心配、ヴァンたち上級生への憧れ、相手を黙らせるための皮肉など、自己完結できない、外部との関係で発生する出来事でした。
他者との関わりで成長するとともに発生する感情が「複雑な感情」なんですね。
ライリーは高校入学の直前、親友のラリーとグレイスと一緒にアイスホッケーキャンプに招待されます。新しい環境への不安が募るばかりに上級生に媚びたり、ラリーたちを遠ざけすれ違いを生んだり、正に思春期に起こることばかりでした。
この難しい感情と状況をよくエンターテインメントに昇華したな、と脚本構成力に感嘆しました。
(3)「自分らしくて良い」ライリーが辿り着いた答えと自意識のコントロール
本作の冒頭で、ヨロコビはライリーの嫌な思い出を捨て去る装置を開発したと、自慢げに他の感情たちに説明します。
実際にライリーがアイスホッケーの試合でペナルティを犯した嫌な記憶を捨て去るシーンがあります。この冒頭のシーンが後半になって非常に重要な要素になってくるわけです。
脚本が良くでき過ぎています・・・
複雑な感情との折り合いがつかぬまま、映画後半で、ライリーはチーム内でアイスホッケーの練習試合に臨むことになります。
高校生で充実した生活を送りたいという不安な感情を元に、チーム内のボールを無理やり奪ったり、親友にラフプレーを働き、ペナルティをもらったりと、最悪なプレーを連発します。当然ライリーにはペナルティが与えられてしまいました。
一方で感情たちのバトルは熾烈を極め、冒頭で嫌な思い出を捨てまくっていた「ヨロコビが思う善人であるというライリーさしさ」と、コーチのメモを盗み見てしまったことにより、私はダメな人間だと「シンパイが新たに作り出したダメなライリーらしさ」という二つの人格が感情主体によって形成さてしまっていました。
ペナルティにより一時的にフィールドから退場したライリーは、私はダメな人間なんだ、という感情に支配されパニックを起こしてしまいます。
暴走しまくったシンパイを無理やりコントロールパネルから引き剥がし、ヨロコビが作った「善人のライリー」を台座に据えても、状況は全く改善されません。
ヨロコビがシンパイに言った「ライリーらしさはあなたが決めるものじゃない」という言葉が思い出されます。それはヨロコビに対しても当てはまる言葉であり、嫌な記憶を排除した善人なライリーはヨロコビが良かれと思って作り出した、感情主体のライリーの人格だったのです。
ヨロコビが善人のライリーを台座から外すと、良い思い出と嫌な思い出によって作り出された本当のライリーらしさが形成されていきます。そして、本当のライリーらしさとは、良いこともあるし、ダメなところもあるし、上手くいかないことも沢山ある。けどそんな多面的で複雑な感情を肯定し、それこそが自分のあるべき姿なんだ、ということに気づきます。
ラストでライリーは自らヨロコビを呼び出します。
このシーンは本作にとって非常の意味のある場面で、ヨロコビやシンパイによって感情をコントロールされてきたライリーが初めて、「感情をコントロールした」瞬間でした。
感情が自分らしさを形成するのではなく、あくまで主体は自分自身で、様々な感情を抱いた自分も自分らしいという結論に至ります。
ライリーは感情に抑圧された状況から脱し、自ら判断することで親友たちとも和解して、高校生活を有意義に送れるような兆しを感じるのでした。
前作は人間の感情にカナシミは必要なのか?というテーマでしたが、『インサイド・ヘッド2』では「自意識のコントロール」というテーマに沿って物語が作られていると感じました。
やはりピクサー映画は毎回、子供映画に隠された本質的な深いテーマを観る人に突きつけてきますね。
まとめ
世界中の大人が共感とともに涙を流したというのも納得の映画でした!世界興収ランキングでトップ10に入った快挙も良く分かります。
僕たちは大人になって、また幼少期のようにヨロコベルのでしょうか?
一抹のシンパイと共に複雑な感情をコントロールして、自分を認めてあげられるようになりたいものですね〜
本当に感動的なラストでした!!
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