『屋根裏のラジャー』は、スタジオジブリが制作部門を解体したことによって、新たに立ち上がったスタジオポノックが製作した劇場アニメーションで長編第2作目。
国内興収ランキング初登場第9位という想定を超えた厳しすぎる出足で、1月に入って既に上映終了の兆しも見えてきた本作。
しかし、ネットでの口コミは好評価が多いので、しっかりと自分の目で判断したい思い、遅ればせながら観てきました!
結論で言うと、普通に面白いし、アニメーション映画としてクオリティも非常に高い!
スタジオポノックの前作としては『メアリと魔女の花』はそこそこヒットした記憶でしたが、今回は百瀬義行監督になったということで、監督に観客が付いてこなかった結果、という感じでしょうか。。
ただし、実際に観てみれば、良作だということは分かるはずです。では今回も感想を書いていきたいと思います。
鑑賞オススメ点数・・・65点
あらすじ
彼の名はラジャー。世界の誰にも、その姿は見えない。なぜなら、ラジャーは愛をなくした少女の想像の友だち《イマジナリ》。
しかし、イマジナリには運命があった。人間に忘れられると、消えていく。失意のラジャーがたどり着いたのは、かつて人間に忘れさられた想像たちが身を寄せ合って暮らす《イマジナリの町》だった―。 残されたのは無力な自分と、ひとりの少女の記憶だけ。「屋根裏の誓い」の真実が明らかになる時、ラジャーは、大切な人と家族の未来を懸けた最期の冒険へと旅立っていく。(HPから抜粋)
【スタジオポノックとは】
そもそも、スタジオポノックとは何ぞや?ジブリと何が違うんだ?という方もいると思うので、簡単に触れたいと思います。
スタジオポノックは、2015年、スタジオジブリの制作部門解散によってジブリを退社したプロデューサーの西村義明が、新作映画を作るために設立されたアニメーション会社です。ジブリの制作部門の解散は2014年に起こったことなので、実はジブリは既に自社で制作する機能は持っていないのです。
ポノックには、ジブリのクリエイターも数多く在籍していることから、ジブリの魂は引き継いでいるだろうし、作風がなんとなくジブリっぽいのは、こういった起業の流れがあるからですね。
ただし、本作のプロデューサーであり、ポノック代表の西村義明は「ジブリの志は受け継ぐが、作品はジブリとは全く違うものにしたい」という趣旨の発言もあり、『屋根裏のラジャー』がジブリとは一線を画す作風になっていることも、意図して行われたということだと思います。
ちなみに、「ポノック」という名前は、クロアチア語で「深夜0時」を意味するponoćに由来し、新たな一日のはじまりの意味が込められています。
ポノックについて簡単に紹介したところで、次からは映画の内容に入っていきたいと思います。
以下、ネタバレ含みます。
(1)子供心をくすぐる想像力を具現化した映像表現が凄い!
『屋根裏のラジャー』の何よりの魅力は、開始1秒から始まるイマジナリの世界観を具現化した点だと思います。
とにかく、実写では到底表現できない美しい映像世界を創り上げているので、アニメとの相性が抜群な題材です。
こういった原作を企画で思いついたとしても、細かい画面全体の設計をゼロから考えるのって本当に凄い才能だよな~と改めて感じました。百瀬監督の次回作も気になるところです。
イマジナリの世界は子供が想像した世界のことなので、雪山でも空中でも、海中でも宇宙でも、どこにでも行くことができます。目まぐるしく変わる映像の世界観に序盤はついていくのに必死でしたが、イマジナリのルールが飲み込めてきてからは、すんなりと物語を追うことができました(笑)
さらに、作画したキャラに実際の照明を当てているかのような独自のライティング表現や、手書きの二次元作画を発展させたような立体的な質感を生み出していたり、新しいアニメーション表現が随所に見られて楽しめました。
物語中盤、アマンダが車に轢かれたことによって、ラジャーは現実世界からイマジナリの世界に飛ばされてしまいます。そこでのイマジナリの表現が、本当にワクワクする映像でした。図書館から始まり、ヴェネツィアを彷彿とさせる美しい背景などなど、大人も子供も楽しめる映画になっていたと思います。
中盤以降は、ラジャーの冒険色が強まり、子供はラジャーに、大人はアマンダの母に感情移入することで飽きずに最後まで楽しむことができました。
この辺りの脚本もとてもよくできていると思いました。脚本を書いたのが西村プロデューサーだと、最後のクレジットで知って驚きました。 プロデューサー兼脚本ってなかなか聞かないですしね。
(2)アマンダの成長物語
物語を追うにつれて、本作のメインテーマは「アマンダの成長物語」だということが途中から分かってきます。
ラジャーの冒険やミスター・バンティングとの闘いなど、色々な要素が同時に進行していくことから、実際にテーマが分かりにくくなっていたのは、事実だと思います。
アマンダの頭の中で、ラジャーというイマジナリフレンドが現れたのは、アマンダの最愛の父親が亡くなり、喪失に暮れていたタイミングです。
よってラジャーは、アマンダの悲しみから生まれた想像の産物なのです。
劇中度々出てくるアマンダとラジャーの誓いは「消えないこと、守ること、絶対に泣かないこと」でした。
この誓いは自身で想像したキャラとの単なる子供の合言葉程度のセリフかと思わされていました。制作側もここはあえてミスディレクションを使ったと思います。
しかし、アマンダが自分の傘の裏に書いていた誓いを見たときに、そうではなかったことが明かされます。傘に書いてあった誓いは、「パパを忘れないこと、ママを守ること、絶対に泣かないこと」です。この誓いはアマンダが自分に課した誓いなのです。小学生のアマンダが自分に課す誓いとしてとても辛い・・・
この誓いをラジャーとの誓いにすることによって、アマンダは自らを縛り上げ、見方によっては、精神的に苦しさを感じていたのではないでしょうか。
ミスター・バンティングとの闘いを経て、アマンダとラジャーは最後の誓いを伝えあい、ラジャーは消滅してしまいます。けれども、本作においてラジャーの消滅は決してネガティブなことではなく、むしろポジティブなこととして描かれます。
アマンダの悲しみを表したラジャーという存在が最後に消えることによって、アマンダは父の喪失から立ち直ることが出来ました。悲しみに暮れていた日々は終わり、アマンダは過去に囚われることなく、前を向くことができたことを暗示しています。
『屋根裏のラジャー』とは、アマンダがトラウマを克服し、大人になるまでの過程を描いた成長物語なのです。
(3)ミスター・バンティングと黒い少女が担う役割とは
ラジャー&アマンダと敵対するキャラクターとして本作では、ミスター・バンティングといういかにもうさんくさいおじさんが登場します。怪しさはイッセー尾形が声を演じることで一層深みが増し、悪役として十分な存在感を放っています。
そしてこのバンティングは終始怪しいセリフを吐き、行動原理や執拗にラジャーを食べようと追いかけてくるところから、映画内で何かしらの役割を担った存在として登場しているのではないかと感じました。
一見すると、バンティングはイマジナリとは対極にある「現実」のメタファーであり、大人になりきれなかった成熟しきれない存在としてあるように思いますが、さらに一歩先に考察を進めると大人になりきれない、けれども想像力を常に必要とされる職業があると気づきます。
そのヒントは子供向けの作品としては、唐突とも受け取れるバンティングの意味深なセリフから感じ取れます。
・「私は想像する側だ」
・「想像が決して勝てないものがある。それは現実だ」
本作で「想像する側」だと謳うバンティングが担った役割、それは「映画監督」を表しているのではないかと考えます。
映画監督は、常に想像し、新たな想像を創造し、作品を生み出し続けなければいけません。
ある意味、映画監督は大人になることを拒絶する必要があります。特に子供向けアニメ映画では、大人になってしまっては、子供を喜ばせるようなアイデアが浮かんでこないからです。
実際に、ラジャーやエミリー、ジンタンらがバンティングと闘うとき、バンティングは自由自在に舞台背景を変えて見せました。「舞台」を変えられるのは演出家の役割です。
さらにキャラクター造形としても、本作でただ一人異様な姿でした。ベレー帽のようなつばの短い帽子に色眼鏡、そしてアロハシャツ、自分を証明するためには身分証ではなく、自身の名前があれば良いという驕り、、これらの要素も映画監督という特殊な職業を表すモチーフでもあります。
バンティングはラジャーのようなイマジナリを「調査」と言って、食べ続けることで生きながらえてきました。イマジナリを映画や小説などの「作品」だと位置づけると、ラジャーは極上の作品であり、そういった良質な作品を常に取り入れていかないと、良い映画は作れません。バンティングが言う「調査」もまた、映画製作における重要な過程の一つです。調査無くして映画製作はできないですから。
映画監督もバンティングのように、市場に溢れる数多の作品を取り入れ続けなければいけない宿命なのです。
黒い少女は、バンティングに古くから付くイマジナリであることから、映画監督が過去に映画を作ったことで生まれた「名声に囚われた存在」ではないかと考えます。
ラストで、バンティングは黒い少女を間違って食べることで、お互いを消滅させてしまいます。
過去の名声に囚われて、新しい作品と世に送り出せなければ、映画界から追放されてしまうという、厳しい映画界の現実を意図しているのではないでしょうか。
新しい映画を生み出せなかったバンティングは、過去の名声とともに映画界から姿を消します。
バンティングのように、映画業界という究極の結果が求められる世界で役割を果たせなかった時は、その姿を表舞台で拝むことは難しくなってしまうのです。
『屋根裏のラジャー』は、アマンダの成長というテーマと、もう一つ、映画業界の厳しい現実を告げる物語でもあったのです。
まとめ
一見、子供向けの映画のようでしたが、バンティングの存在や、アマンダの悲しみからの解放という深いテーマ性も見られる作品でした。
バンティングについては様々な考察のしがいがあるキャラクターです。映画監督のメタファーと考察してみましたが、いかがでしょうか?
もう少し映画の広告やポノック自体の知名度が高ければ、確実にヒットしていたであろう作品だと思います。
もっとお客さんが入っていてもおかしくない!
製作費の回収が出来ているのか気になるところですが・・・次回作はさらにグレードアップしたポノック作品を期待しています!
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